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無動寺について

神に守られ仏に支えられ寒行邁進
六郷満山千三百年。

無動寺について

国東半島六郷満山千三百年の歴史。開基は奈良時代初期の養老年間(七百十八年)で、無動寺は中山本寺の一つであり、最盛期には伽藍の規模が五十〜六十あったと云われ、常に百名あまりの僧が修行に励んでいたと言われています。 本堂には本尊の不動明王像をはじめ、大日如来座像、薬師如来座像などの平安時代から鎌倉時代にかけての十六体の木造の仏像が安置されており、すべてが大分県の有形文化財に指定されている。

六郷満山

国東半島には、千三百年の歴史を誇る宗教文化圏があります。それが六郷満山と呼ばれているものです。六郷とは、半島の構成する古い地名で、安岐・武蔵・国前・伊美・田染・来縄の六つの郷のこと。満山とは山岳信仰で使われる言葉であり、山すべてを全ての仏とし、山すべてが仏の浄域であり、その浄域にあまねく点在する寺院の集合した状態を満山と称しているのです。言うなれば国東半島そのものが仏であり、浄域の全てであり、寺院であるとも言えます。

六郷満山と宇佐八幡宮

 国東半島の六甲満山は奈良時代から平安時代にかけて成立しました。その成立に重要な位置を示しているのが位置を示しているのが全国の4万社にものぼる八幡系神社の総本山でもある宇佐八幡宮です。宇佐八幡宮は、最初に神仏習合を実践した神社地しても知られています。八幡の神を「八幡大菩薩」と称しているのもその表れです。  国東半島は、両子山を中心に放射状に幾つもの山や山稜が伸び、奇岩が連なる連なる秀峰の仙境が無数に点在しています。古来よりここには原始的な山岳信仰が生まれたとされており、原初の修験道が行われていました。  ここに、 天台密教や浄土思想が結びつき、宇佐八幡の神仏習合が融け込み、神と仏が渾然一体となった霊場になり、この霊場を組織的に支える一連の寺社が成立していったことが、六郷満山成立の過程とされています。  また、半島の天地に修験僧を統率し満山を組織するには宇佐八幡宮の強力な背景とともに、法華経二十八品 にならい二十八寺を開基しつつ、多くの軌跡を現わしたとされる「人聞上人」という神話思考的な象徴が働いて、 六郷の大衆を魅了し畏敬されていたと考えられています。

本・中・末という寺社組織

六郷満山の寺院は、学問修行の場でした。それは立地と役割により三つに大別されています。まず、宇佐八幡宮に近い 八ヵ寺を本山本寺とし、学僧養成と統率的な職務を担当していました。次に、半島中部に位置する十ヵ寺を中山本寺とし、山岳修練の行を実践する僧が集い、各種記録を行う職務を持つ寺。そして半島周辺部にある十の寺を末山本寺とし、主に一般の人々と接しながら修行することを旨としていました。

無動寺は中山本寺の名刹

 本寺は、六郷満山寺社で10ヶ寺あった中山本寺の一つであり、最盛期には伽藍の規模が50〜60あったと云われ、常に100名あまりの僧が修行に励んで板と言われています。支配下には十二坊を持っていました。開基は奈良時代初期の養老年間(七百十八年)で、伝説の「仁聞上人」によって開かれたと伝えられています。  本堂には県下最多の平安期の木仏像(県重要文化財16体)等が奉安され、今もなお受け継がれている祈祷道場として、また千体地蔵尊の寺としても知られています。もとの本堂は現在の位置よりも下流の下黒土、通称小岩屋にありました。それで山号を小岩屋山と号しています。

 

御本尊は不動明王

御本尊「不動明王」忿怒身でありながら 怒りを激しく現さず穏やかな慈悲相が特徴。
古い形を保っている(県重要文化財)。黒土 不動尊としても有名。

本堂には、御本堂である不動明王を配し、その右側に大日如来、薬師如来。左側に伝弥勒菩薩が並んでいます。不動明王とは大日妙来の化身とされ、忿怒身でありながら怒りを激しく現さず穏やかな慈悲相になっています。この慈悲相は平安時代までとされ、古い形を保っていることから藤原時代の秀作と評されています。  薬師寺如来は、木像としては六甲満山中最も大きな尊像です。元々は御本堂、体内仏も残されており、薬師のの眷族揃っているのは本寺だけです。  大日妙来は最高位の仏とされており、太陽の化身であり、本来ならば煌びやかな宝飾を身につけていますが、ここの大日尊は飾りの少ない簡素な造りになっています。衣文の刻み方から平安末の作とみられています。また、伝弥勒菩薩は同じく平安末頃の作で、薬師如来とよく似た彫りですが、肉髻(にくけい:頭の頂)が低く、螺髪(らほつ:丸まった髪)がないのが特徴です。  弥勒仏は未来仏とも呼ばれ、現在修行中で56億7千万年後にこの世を救うための如来となって下生される仏です。  また本堂裏手には、十六羅漢像を始め仏菩薩の石像や板碑、宝篋印塔などもたくさん保存されています。

厳冬時の峰入り寒行

向う谷にある天然寺拝を含む行を毎年一月十三日から二月二日までの二十一日間連続して行います。朝四時起床、お経を唱え、鐘をつき、まだ日も昇らぬうちに入山し峰々を渡り歩く荒業です。二月三日の節分会(天台宗では星祭り)のためお清めの修行です。節分会は、お盆行事である施餓鬼会とともに本寺の大切な二大行事になっています。